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2015年8月

 

 

8月2日  『夏の記憶』

友人から「急だけどお祭りに行きませんか?」とメールがあった。

 

人を誘うという事はなかなかの気力を使う。(僕はね。)

誘ってもらえる事を凄く嬉しく思うよ。

 

「僕も誰か誘ってみるよ」と返し、数人に誘いのメールを送る。

当日の誘いにもかかわらず、駆けつけてきてくれた事もまた嬉しく思う。

 

 

気分が良くなってしまった僕は帰りたくない気持ちの高まりと、夏という瞬間をいまなら感じられるそんな気がした。

無理を言って友人に朝まで付き合ってもらったよ。

 

8~10年振りだろうか。

思い出が沢山詰まった場所へ行き、朝まで話し歩き続けた。

 

全ては少しずつ変わってゆくと思ってはいるけど、手放さなければなくなる事はないと思えたし、時間が経ってもその気になればまた始められるそんな気がした。

 

 

8月3日

「暑過ぎるっ!」と思いながら乾いた洗濯物をとりこむ。

 

蚊取線香に火をつけたらそれだけで少し暑さが和らいだ気がした。

 

気分良く続けてアイロンもかける。

アイロンがけされた衣類の匂い、17時を告げるチャイム、蚊取線香。

「夏だ!」と思った。

 

夏を過ごせている感覚に嬉しくなった。

 

ベランダに打ち水を撒き、窓から吹き込んでくる涼しい風にまた夏を想う。

 

 

これは夏だ!

 

 

8月20日  『新曲と今朝の話』 

急に涼しくなった事に戸惑い焦りながら最近は夏の曲をミックスしながらもクリスマスソングをアレンジしている。

 

2度目となるクリスマスソングは6/8、4/4、5/8と展開していくのでとにかくリズムアレンジと演奏が難しい。

だけど凄く好き。

上手くいけば良い曲になりそうで楽しみだ。

 

 

気落ちしたまま朝を迎え浮上しない気持ちでジョン?ラセターが日本について語った内容の文を読んだ。

尊敬、感謝、愛に溢れていて気持ちが満たされていく感覚で目が覚めた。

 

羨ましかった。

今日も頑張ろうと思う。

 

 

8月21日  『聴感上の話』

ペイヴメントの『Give It a Day』を聴くとビートルズの『A Day In The Life』を聴いた時と近い感覚に僕はなる。

 

boys ageの『Good Yesterdays』を聴くとペイヴメントの『Give It a Day』を聴いた時と近い感覚に僕はなった。

 

『Give It a Day』と『A Day In The Life』は夕暮れにぴったりだ。

いつかの夕暮れ時に音楽プレーヤーが気まぐれに流した『A Day In The Life』を聴いたら感情が溢れこぼれた。

 

最近買ったBoys Ageの『ELSE』というアルバムは夏にぴったりだ。

 

夏が終わる前に聴く事ができて嬉しく思っている。

 

 

8月23日  『大切な友人との話』

色々な話しを聞かせてくれた。

話してくれた事が嬉しかった。

 

「もう若くはないよ」と言いながら深夜にカラオケで熱唱する友人はとても若々しく輝いてみえた。

そんな所が大好きなんだ。

1番楽しいカラオケだったかもしれない。

 

疲れきった顔で始発の駅へと向かう友人は一歩一歩あるく毎に歳をとってゆく様に感じた。

 

凄い速さで進んでいく時間を止めたくて必死に言葉を探したけれど、口から出た言葉はどれも力無く時間は止まらなかった。

 

改札をくぐり振り返った友人にその時に出来る偽りない全力の笑顔で手を振ったら少し笑ってくれた様に見えた。

 

帰っていっても笑っていてくれたらそれでいい。

笑えなくなったらまた朝までカラオケに行こうね。

 

 

8月24日

昨日は久しぶりのスタジオでした。

前回のLIVE後からスタジオに入れていなかった。

一週間と少し入れていないだけで久しぶりだなという感覚があった事を嬉しく思った。

 

 

『涼しいから過ごしやすくなったね』という言葉に『秋を感じて心細くなっちゃう。勝手だけどね』と電話口で返す祖母。

そんな話を朝から聞いた。

 

今日は秋を思い出している。

 

そして明日はもうLIVE。

早いなぁと思う。

そりゃ夏も終わってしまうよね。

 

まだ感じられていない夏と今朝の涼しい風に秋を思いつつ残暑感ある演奏がしたい。

 

 

8月24日  『知らずにいる事が多い』

テレビを見ながら、気がついたらそんな事を考えていた。

 

24時間テレビのダイジェストを見ていたら込み上げてくるものがあった。

歳を重ねると涙もろくなると聞いていたのは嘘ではないのかもしれない。

 

歳のせいではなく、その映像に映っていた人達の気持ちがとても強く、画面を通して伝わってきたのかもしれない。

そうであって欲しい。

 

少年が歌う『どんなときも』は僕が歌うそれとは比べものにならない強さがあった。

これは間違いない。

 

本放送でも切りとった断片しか知る事が出来ない。

それ以上に過程を省略されたVTRで慮ったような顔で分かった気になっているだけなんじゃないかという葛藤はあるけども、それでも良いのかもしれない。

 

今年の24時間テレビのテーマは『繋ぐ』だったと繰り返し言っている。

 

 

今年は祖母と沢山話しをしている。

 

両親の話や戦争を体験した話、幼い頃の生活や母が生まれた頃の話。

知らずにいた事を沢山聞いている。

 

今年のお盆にはその頃の写真を見せてもらった。

曽祖父はこんな顔をしていたんだと初めて思った。

曽祖父の顔を記憶にとどめておこうと写真を見たのは初めての様な気がした。

 

幼い頃に祖母に連れられて曾祖母のお見舞いに行った事はよく覚えている。

『たー坊』と呼んでくれていた。

僕が持っていたコアラのマーチを欲しがった。

 

そういえば祖母の家のお墓には行った事がなかったとふと思った。

場所だって分からない。

 

知らずにいる事が多い。

 

母親に場所は聞いた。

コアラのマーチを持って行ってみようと思う。

 

 

帰り道。

川沿いを歩くとトンボが沢山飛んでいた。

肌にふれるひんやりとした空気にも秋を感じずにはいられなかった。